2017年4月21日 (金)

ヒミコ

●BGM https://www.youtube.com/watch?v=tjNM53TYcNU

全項目で述べました 天照大神 ですが、これに付きましては自分は、間違いなく 卑弥呼 であると断定して居ます。 (理由は、また次の機会に)

卑弥呼 は中国式の当て字ですから、本来は、「日巫女」→太陽に仕える巫女 という意味です。 しかし卑弥呼がアマテラスだとすると、色々と矛盾も出てきます。 まずは・・・天皇家の始祖は卑弥呼という事になります。

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私が唱える説で行くと、安日彦がスサノオなら、卑弥呼の弟だったという事になります。すると、邪馬台国はやはり出雲にあり、日本の王である長髄彦は、そこで渡来系侵略者である神武天皇に殺され、安日彦は北の地に逃れ、新たな国家を建設し、政権に対する反乱軍となっていく・・・というストーリーになるわけですが。

邪馬台国の実在場所と卑弥呼、そして神武東征は日本の三大ミステリーなわけですが、だいたいですねぇ、魏志倭人伝の記述がテキトーなので、そのせいで現在も尚、解釈が混乱して居るわけです。 此処で大事なのは、時代考証です。

神武東征が、邪馬台国・卑弥呼よりも後の話だと、決め付けられて居ること自体、本当でしょうか? 此の部分の何の確証も無いから、解釈が混乱するんですけどね。

では此処で今一度、「魏志倭人伝」を振り返ってみましょう。

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元々は男子を王として70 - 80年を経たが、倭国全体で長期間にわたる騒乱が起こった(いわゆる「倭国大乱」と考えられている)。そこで、卑弥呼と言う一人の少女を女王に共立することによってようやく混乱を鎮めた。

 卑弥呼は、鬼道に事え衆を惑わした。年長で夫はいなかった。弟が国政を補佐した。王となって以来人と会うことは少なかった。1000人の従者が仕えていたが、居所である宮室には、ただ一人の男子が入って、飲食の給仕や伝言の取次ぎをした。樓観や城柵が厳めしく設けられ、常に兵士が守衛していた。

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卑弥呼は景初2年(238年)以降、帯方郡を通じて魏に使者を送り、皇帝から「親魏倭王」に任じられた。正始8年(247年)には、狗奴国との紛争に際し、帯方郡から塞曹掾史張政が派遣されている。「魏志倭人伝」の記述によれば朝鮮半島の国々とも使者を交換していた。

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正始8年(247年)頃に卑弥呼が死去すると塚がつくられ、100人が殉葬された。その後男王が立てられるが人々はこれに服さず内乱となり1000余人が死んだ。そのため、卑弥呼の後継者(宗女)である13歳の少女の壹與が王に立てられ国は治まった。先に倭国に派遣された張政は檄文をもって壹與を諭しており、壹與もまた魏に使者を送っている。

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魏志倭人伝が伝える此の部分と、私の感性を併せて素直に解釈して行くと、国政を補佐した卑弥呼の弟というのは、安日彦と長髄彦でしょう。 宮室に入った男子とは、弟の長髄彦ではないでしょうか。

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此処に渡来の侵略軍である神武天皇が襲来し、邪馬台国を滅ぼす。 そして神武天皇は卑弥呼を妻にしてしまう。 ・・・侵略軍が其の地の女性を妾にするのは、戦国時代まで普通にあった事です。  ・・・それならば、今の天皇家がアマテラスと神武天皇を “ 祖 ” とするのに何の矛盾も無くなるわけだが。 神武天皇が本当に実在したのか?とか、その辺がうやむやになってる点に付いても、こうしたゴタゴタの中で影が薄くなって居る事情があるなら、何となく納得出来る様な・・・。

こうすると、魏志倭人伝に示された 「その後男王が立てられるが人々はこれに服さず内乱となり1000余人が死んだ。 」 という部分も真実味が出てくるわけで。 男王とは勿論、神武天皇であり、其れに服さず乱を起こしたのは、安日彦・・・スサノオ。

どうですか? そう解釈した方が、どうにもスマートかと。

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2016年8月 6日 (土)

黙祷

●BGM https://www.youtube.com/watch?v=xKj08mdnySs&feature=related

ヒロシマ。 71年目の夏。 黙祷を捧げる。

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時、同じくして、オリンピック開会式。 ・・・感動した。 これから始まる競技での戦いは、開会式にこそ集約されて居る。 異なる地域、異なる民族が互いに心を許し、心・技・体の極限に挑む。 力を尽くした中で、其処には勝者も敗者も無い。 

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開会式のセレモニーで、日本人移民がブラジルで開花させた魂が演じられたこと、私は大和民族の一員として誇りに思う。 日本人選手団が開会式のグラウンドに登場した時、あの、世界中から頂いた、絶大な喝采。

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元々私は涙もろいんだけど、オリンピック開会式を見ていたら、自然に涙が流れていました。

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ブラジルは、白人に依って搾取され、ネイティブが迫害された。そうして荒らされた土地を、我が大和民族が開花させた。・・・原住民と共に。

日本人とは、いつでもそういう民族なのです。 大和民族は古来、世界の平和を裏で支え続けました。 そろそろ、世界から評価されても良いでしょう。

忘れないで頂きたいのは、こうした世界平和を導く為に、大和民族の血が、世界中の荒野に流れたという事実。 今ある世界の平和は、先人の英霊の魂が築いたものです。

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この世界に、まだ脅威が残っているならば、我々大和民族には、まだ、やるべき事があるのではないですか? 其れが、真に、神に選ばれし民の責務です。

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人間は浅墓です。 戦わなければ平和を維持出来ないなんて。 心を、許し合えば良いのに、ただ、其れだけなのに。

●BGM https://www.youtube.com/watch?v=pJ9AH6zgd-o

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本日、心から合掌致します。

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2016年7月10日 (日)

是非に及ばず! 信長暗殺の黒幕は誰だ Ⅸ

●BGM https://www.youtube.com/watch?v=YxHIzDzLS0o

昨日の 『 世界ふしぎ発見 』 ご覧に成りましたか? 明智家の末裔が出演し、信長暗殺の真実を解いて行くのですが・・・。私が前回、

■Ⅷ:http://ginsui.cocolog-nifty.com/bullbon_room/2016/03/post-2b27.html

で示した通り、やはり此の謎を解くキーパーソンは、『 弥助 』 でしたね! イエズス会の関与にも言及されていました。 まさか・・・信長暗殺解明の鍵が、スペインに在ったとは! 

http://dokujyoch.net/archives/63133643.html

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なるほど! 目からうろこで、思わず目頭が熱くなったよ。 ・・・そういう見識があったか!  それ、自分の感性にも実にシックリくる。

大まかな真実のストーリーはこうです。

●BGM https://www.youtube.com/watch?v=q4nwlV5s1KY

天下布武を目指し、関東制覇を成し遂げた信長には、もはや、徳川家康の存在は不要となった。不要どころか、家康を生かしておく事は、己の足元をすくわれる恐れすらあった。兵法「六韜三略」に倣い、まず、制覇を成し遂げる為に、己の側近であるNo2を葬る。・・・信長の気性であれば、これは有り得ます。 確かに、家康を封じれば、其の東の有力武将は北条氏。家康を殺し、強大な力を持てば、北条も敵では無い。 

・其処で信長は、己の第一のブレーンであった明智光秀に、家康暗殺を指示します。ところが信長のその暴挙に、光秀は流石に猛反発します。即座に光秀は信長に足蹴にされたのです。 

盟友である家康さえ亡き者にしようとする信長の非情さに、「 次は我が身か 」 と察した光秀は、密かに密使を遣い、家康に信長の策略を伝えます。 

・信長の策略とは、家康を本能寺に誘い出し、其処で光秀に討たせる算段。其処で家康を油断させる為、敢えて少数の手勢で本能寺に構えた。 確かに、何の策も無く、策略家の信長が、少数の手勢で無防備を晒す事など考えられないのです。 ↓

・天正10年6月2日(1582年6月21日)、信長から誘いを受けた家康は、これも少数の手勢で本能寺に向かっていますが、何故か途中で、鸚鵡返しで元の道を引き返します。

・そして本能寺に現れたのは、本来は家康を撃つ為に向かった、光秀の大軍勢でした。 此の時、全てを悟った信長が、 「 我は己で此の命を縮めたか! 」 と、最期の言葉を発するのですが、其の、信長の最期の言葉が、スペインの古文書に残されていた。と、いうわけです。 

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では、其の信長の最期の言葉が、何故、スペインの古文書に残っているのかと言うと・・・弥助 です。 弥助は本能寺から逃げ延び、イエズス会に報告したのです。

全て、辻褄が合うではないですか!

そうすると此のハナシは・・・ココ ↓ に、戻ってくるんだが・・・。

■Ⅳhttp://ginsui.cocolog-nifty.com/bullbon_room/2015/10/post-0ede.html

最期に、光秀と家康。 この二人の最大の誤算が、秀吉の中国大返し だったと言う事です。

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2016年6月26日 (日)

淀姫

●BGM https://www.youtube.com/watch?v=cqiM8a12VFk

今日の 『 真田丸 』 を観てて、ふと思ったのですが。

淀姫 ( 浅井 茶々  。

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とてもミステリアスな女性だったとされています。 「 悪女 」 とされて居ますが、確かに彼女の行動は奇怪なんですね。

彼女の生い立ちを考える時、メンタル的に、重大な問題を抱えていたと思っても、何の不思議も無いんですよ。 いや寧ろ、そう考えた方が納得できるし、行動にも辻褄が合います。

実際、史実にも 『 慶長6年になると、「気鬱」が激しくなり、胸が痛み、食事が取れなくなったり、頭痛に悩まされ、曲直瀬玄朔から処方をされた 』 との記録が残って居ます。

彼女はさして美人でもなかったとされて居ますが、秀吉の異様な程ののめり込み様、周囲を振り回す有様。

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・・・『 境界性パーソナリティ障害 』 だったと解釈すると、実に納得出来るわけです。

で、あるならば、千利休切腹にも深く関わって居たとされ、豊臣家滅亡の切っ掛けにもなって居り、これをほって置くと、やがて現代の国家存亡にも関わると説く、私の主張もあながち眉唾ではないのですが。

こうした女性が、今後の日本に増殖するのは確実です。 其れだけは言っておきます。 その時に成ってから始めても遅いんです。 だから気が付いた人間が ・・・防ぐ のです。

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2016年6月10日 (金)

蝦夷の謎

●BGM https://www.youtube.com/watch?v=1XNXecRaRI4

私は 『 蝦夷 』 の血を引き継いだ者。 んんん・・・中央政権に牙を剝く定めは、其の血ゆえなのでしょうか? 何か、運命感じるなぁ。

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古代東北を今一度、お浚いしてみたいと思います。

岩手のヒーローと言えば、『 阿弖流為 』 まず今日は、関する動画を見付けたので、コレ見た方が早いでしょう。 ご興味ありましたら、どうぞ。

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■アテルイ平安朝廷とたたかった東北の英雄:https://www.youtube.com/watch?v=NFKqhNjVBNo

■【武士の誕生】蝦夷・坂東の戦士たち 東夷(あずまえびす)と日本刀の起源:https://www.youtube.com/watch?v=FFYNb--0PLQ

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2016年5月 4日 (水)

阿修羅とは Ⅱ

●BGM https://www.youtube.com/watch?v=IfnuWgBrdJ8

私が良く引き合いに出す 『 阿修羅 』 ですが・・・。

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今日は、 神の髪 についてです。  いや、ダジャレじゃねーし。

 此れは、毘盧遮那

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サンスクリット語のVairocana「ヴァイローチャナ」の音訳で「光明遍照」(こうみょうへんじょう)を意味する。「 毘盧舎那仏」とも表記される。 略して盧遮那仏(るしゃなぶつ)、遮那仏(しゃなぶつ)とも表される。 史実の人物としてのゴータマ・シッダールタを超えた宇宙仏(法身仏)。

この、仏陀の髪型をご注目下さい。 この髪型を持つのは、仏陀だけです。

例えば、四天王 ↓ こちらの髪型と比べてみて下さい。

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どうですか? 仏陀以外の神の髪は、ウェーブがかかってますよね?

これ、意味が有るんです。

仏陀の、揺るぎの無い“ 悟り ” を表すパンチパーマの髪型。

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対して、心にまだ迷いのある神を表す、乱れたウェーブの髪型。

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阿修羅は、怒りに燃えた、怒髪天の髪型で示されます。 そういう事。

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私はまだ、心乱れた闘争心を持つ、阿修羅 の状態にあります。

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2016年4月24日 (日)

阿弖流為の時代 Ⅱ

●BGM https://www.youtube.com/watch?v=ZpwvH7x3qxc

前項目『 阿弖流為の時代 』 の続きです。:http://ginsui.cocolog-nifty.com/bullbon_room/2007/09/post_f0ce.html

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蝦夷」は私のルーツでもあります。 日本の、「」と「」の戦いのルーツでもあります。・・・それを今日は簡単に説明しますね。

南方から来た日本原人である縄文人(アイヌ)は、西方大陸から渡来した弥生人に迫害され、北の大地に逃れました。 其処には又、ユーラシア大陸、バイカル湖周辺から海岸沿いに渡ってきた北方民族が幸せに暮らして居ました。 北の大地に追いやられた縄文人は、そこで北方系和人と融合。

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其の中の長がアテルイです。

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渡来人、大和朝廷は、平和に暮らす北の大地(蝦夷地)にまで侵略の手を伸ばして行きます。彼らは、そうした北の地に逃れた民を、卑しい 『  』 だと罵り、忌み嫌ったのです。 天皇家と言うのは、そもそもは日本に侵略して来た単なる侵略者です。

●動画 蝦夷・坂東の戦士たち 東夷(あずまえびす)と日本刀の起源 :https://www.youtube.com/watch?v=FFYNb--0PLQ

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元々の日本の長、長髄彦は、侵略して来た渡来人である神武天皇に殺されます。そして長髄彦の兄、安日彦は、北の大地に逃れ、そこで南方系、北方系の民族を束ねる為、「荒脛巾神」を信仰し、アラハバキ族として、北の大地に理想郷を築こうとしました。 おそらく、自然崇拝である日本の 『 神道 』 のルーツこそ、『 荒脛巾神 』 だったろうと私はそう解釈して居ます。

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時は流れ、安日彦の末裔は、北の大地に 『 安部一族 』 として平和に暮らしていました。北の大地には、豊富な金と、山海の豊かな恵みがありました。その“金”を贅沢に使い、北の大地に理想郷を守ろうとしたのが、何らかの事情で、藤原摂関家から北の大地に移り、安部一族と団結した 『 奥州藤原氏 』 です。 これが平泉黄金文化

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E5%B7%9E%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%B0%8F

その北の豊富な 『 金 』 を狙い、またしても侵略を仕掛けたのが、時の朝廷。侵略してきたのは、源氏。

平和に理想郷を造ろうとした北の大地に、勝手に攻め込んで来たのが中央政権です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%A0%BC%E7%BE%A9

東北人にとって、中央政権とは単なる侵略軍でしかありません。そうした中央政権から 『  』 と呼ばれながら果敢に戦ったアテルイや安倍貞任。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E8%B2%9E%E4%BB%BB

それを偲んで今も伝わるのが、 『 鬼剣舞 』 です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E5%89%A3%E8%88%9E

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今でも、中央政権と戦ったアテルイや安倍貞任は、東北のヒーローなんです。そして、その悲運に巻き込まれた源義経。

北の地には、そうした反骨魂が今もなお、脈々と受け継がれて居るのです。

そして今、日本の政治の頂点に立つのが、安部一族末裔、安倍晋三氏です。蝦夷がやっと、この日本を取り戻したのです。

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●動画 安倍之謎 日本首相安倍晉三 安倍姓的由来 :https://www.youtube.com/watch?v=8vOkYfwWsRY

『 勝てば官軍、負ければ賊軍 』 と言いますが、「」と「」の戦いは、表裏一体。『  』 は、その時代が決めるものです。  私は、その敗軍 『  』 の子孫です。 安部氏は元々、朝敵であり本来の日本。私もその理想郷を求める子孫です。

どちらが真実か、まだ戦いは終わっていません。光と闇は、未来永劫に続く、修羅の戦いです。

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2016年3月19日 (土)

是非に及ばず! 信長暗殺の黒幕は誰だ Ⅷ

●BGM https://www.youtube.com/watch?v=_l2DBWPBa_A

此処からは、世界的歴史研究家 オリエント吟水教授に依る新説です。

歴史の真実は、証拠が無ければ全ては憶測です。証拠が無い場合、史実の点と点を結んで「有り得る」と思える直感から、真実に向けて掘り下げて行くしか術はありません。

此れだけの謎に包まれた信長の死。其れは、・・・彼が実に偉大な存在であったかを物語ります。彼が生きていたら、日本の歴史は確実に変わっていました。 彼は、義経同様、当時、世界制覇を成し遂げていたかもしれない壮大なロマンを匂わす主人公ですから。 又、天才には凡人の感性では理解出来ない、常識を超越した才覚があるわけです。

さて、吟水の信長暗殺に関わる新説ですが、

・・・着目点は、『 弥助 』 です。

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弥助 と言うのはイエズス会が、現在のモザンビークから日本に連れて来た黒人なのですが、信長は彼をたいそう寵愛したんですね。

■弥助 :https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E5%8A%A9

此の弥助ですが、本能寺に同行し、本能寺の変で信長を守りましたが、其の時点で歴史書から突如、消息不明となって居るわけです。光秀軍に殺されたという記述も見つかりません。

当時、あれだけ目立つ存在であった“黒人”が、信長と共に消息を絶つ。以後、歴史書からも、その存在に付いて忽然と姿を消す。・・・有り得ますか? 黒人が野に下った場合、其の後の消息は残る筈なんです。 ですよね?

此処からが 『 吟水説 』 です。 ・・・私は、ロマンを求める輩ですから。

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2016年2月24日 (水)

六文銭

●BGM https://www.youtube.com/watch?v=TfuHA6em9ec&feature=related

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『 六文銭 』 と言えば、真田氏が有名ですが、真田氏と言うのは、信濃の滋野氏流、海野氏の支流です。元々六文銭は海野氏が使用していたもので、真田氏独自の紋ではありません。 真田氏が六文銭を使い出したのは、武田氏滅亡後、北条氏との戦いで勝利した頃からの様です。

六文銭とは、三途の川の渡し賃で使う「六道銭」からきています。

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六道とは、仏教で言うところの 『  』『 人間 』『 修羅 』『 畜生 』『 餓鬼 』『 地獄 』 迷いあるものが輪廻するという、6種類の世界の事を言います。 この、死者に対し六道の数に合う銭を持たせれば成仏出来るという考え方から 「六道銭」 という意識に発展しました。

因みに、・・・ 六文と言うと、今の価値ではどのくらいでしょうか?江戸初期の貨幣価値に換算すると、300円です。 つまり、・・・現代では50円玉を6枚、死者に持たせれば良いという事になりますかね。

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上記六道のうち、修羅界とは、 争い事にまみれていた人が逝くところです。・・・私の逝く場所です。愛犬しゅらに導かれて。

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2016年1月 5日 (火)

是非に及ばず! 信長暗殺の黒幕は誰だ Ⅶ

●BGM https://www.youtube.com/watch?v=6vOjVSzK8Bo

■ イエズス会説 ■■■

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動画:https://www.youtube.com/watch?v=7bD4QdFmAAc

何故、光秀が血眼になって信長の首を捜したにも関わらず、どうして本能寺の狭い敷地から信長の遺骸を見付けられなかったのでしょうか。・・・此処にイエズス会の行動を加えると、何となくその謎が解けたりします。

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1557年になってマカオがポルトガル領になると、キリスト教の布教のために多くの宣教師たちが日本にやってくるようになります。彼らは時の権力者に近づき、火薬を武器にして布教の協力を取り付けることを常套手段としていたようです。当時の戦いはすでに刀や槍の時代ではなく、鉄砲の数が勝敗を決めるようになりつつあったのです。その鉄砲にとって不可欠な火薬をポルトガルの宣教師たちは握っていたのです。

永禄12年(1569年)の頃、信長とイエズス会とはかなり親密でした。天正9年には、イエズス会の巡察師ヴァリニャーノに京で馬揃えを見せたり、彼らが帰国するときは安土城の天守閣を提灯でライトアップさせて送別会をやったりと、信長は一貫して宣教師を保護し、理解し、優遇したのです。

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イエズス会の方も信長には、鉄砲の技術を教え、貿易で莫大な利益を与え、宣教師たちが集めた海外情報をふんだんに信長に提供していたのです。信長軍が当時の戦いに強かったのは、イエズス会の強力な協力があったからといって過言ではないのです。

イエズス会の協力を得て信長は着々と全国制覇事業を進め、遂に彼らの情報によって、鉄甲船まで作り上げてしまったのです。
当時日本に来ていた宣教師はルイス・フロイスといい、彼はあとで日本史を書いているのですが、この本は外国人から見た当時の日本を知るうえでとても興味深いものです。

しかし、信長はこの頃からイエズス会の言うことを聞かなくなります。これが本能寺の変の1ヶ月くらい前からかなり露骨になるのです。天正10年5月には総見寺を建てて一般公開し、そこに信長自身であるという白目石を祀って参拝するよう命じたのです。これには、イエズス会は態度を硬化させてしまいます。・・・それは、「天に2つの神なく、地に2つの神なし」とするキリスト教に対する挑戦であり、神を冒涜する行為である。

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それにフロイスらの宣教師たちは、信長が近くマカオを攻めて火薬の原料である硝石を押さえるのではないかという情報をキリシタン大名などを通じて収集していたといわれます。つまり、6月2日早朝の本能寺の爆発と見られる出火の謎が少し解けてきます。「本能寺の出火は、地下の火薬庫が爆発したもの」という説もあながち荒唐無稽な説ともいい切れなくなってきます。

ルイス・フロイス記より-------

『 信長がかくのごとく驕慢となり、世界の創造主であるデウスのみに帰すべきものを奪はんとしたため、デウスはかくの如く大衆の集まるを見て得たる歓喜を長く享楽させ給わず、安土山においてこの祭りを行った後19日を経て、その体は塵となり灰となって地に帰し、その霊魂は地獄に葬られたことはつぎに述ぶるであろう。』

フロイスが何を言ったかというと、デウスのおかげで信長は全国制覇をここまで遂げられたのに、自分の力だと錯覚して驕慢になった。だからデウスは、信長が自分を拝ませるようになって、命を19日しか与えなかったと記しています。・・・ということは、フロイスはこの本能寺の変は、イエズス会が関与していたと言っているに等しい。

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