2009年11月11日 (水)

北斎漫画 Ⅳ

9/26日。
こうして北斎漫画の旅を終えました。
「さぁ、おうちへ帰ろう!」

帰りは高速を使わず、のんびりと道志みちからルート246に入る。
さ、来週からはまた仕事だぜっ!292_1 292_4

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北斎漫画 Ⅲ-6

本栖湖です。

さて、皆様。1000円札をご用意下さい。290_1 291_1
札の裏側の富士の絵と、この写真を比べてみて下さい。

・・・そう、この位地からの眺めが、その1000円札の図柄となっています。
旧5000円札の裏側にも用いられていますね。
左右対称の美しい富士がここから眺められます。


・・・この頃、時間にして19:30頃。
暗くなってきたら、何やら先程から霊気が。。。
そう、この本栖湖から精進湖周辺には「青木が原樹海」が広がります。
折角なので、ぼんと一緒に樹海に入って肝試しでもやろうかと思いましたが・・・。
流石に疲労困憊。断念!   今度やろ。 (゜.゜)y-゜゜゜

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北斎漫画 Ⅲ-5

289_1 289_2 西湖の夕暮れ。
「サイコ~~~~~~!!!」

あ、甲斐犬だ!

甲斐犬は、山梨県・長野県の山間部で獣猟犬として飼われてきた日本犬です。昭和9年に国の天然記念物に指定されました。 
熊や猪にもひるまない勇敢な猟犬としての性質をもちながら、飼い主とその家族には非常に従順で、家庭犬としても非常に優れた資質を持っています。
飼い主以外の人間に心を開かず、唯一人の飼い主に一生忠誠を尽くすことから 「一代一主の犬」 と言われています。それが甲斐犬の魅力。

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北斎漫画 Ⅲ-4

さて、夕暮れまで時間があります。
ぼんと富士五湖を巡る事にしました。

まずは河口湖から眺める富士。・・・うん、美しい。288_1 288_2 288_3

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北斎漫画 Ⅲ-3

287_2 287_4 287_5 287_6 平日だからガラガラで気持ち良いぞ~。
SW中だったら道路も激混みだったろうけど、実はそれを察して今回は水曜日からの出発にしたのさ。
快適、快適!287_1

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北斎漫画 Ⅲ-2

ドギーパーク到着!286_1 286_2

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北斎漫画 Ⅲ

9/25日、朝。
まずはぼんと朝のお散歩。気持ち良い~~~~~!!!

ぼん:「この船はどうやって乗るの?」
俺様:「すわんじゃねーの?やっぱり」284_1
ぼん:「あぁ、そっかー!」284_2 284_3 284_4

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2009年11月10日 (火)

北斎漫画 Ⅱ-4

流石に腹がへったー。
麓に下りたら、やっぱりここは“ほうとう”でしょ。

疲れたねー。 おやすみ!282_4 283_1 283_2

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北斎漫画 Ⅱ-3

宝永噴火口到着!!ここは富士山の中腹より少し上。

自分は二十歳の頃、山頂まで登りました。夜中12時頃から登山口を登り始め、早朝に山頂へ到着。
雲の下に御来光を眺めました。
・・・寒さと疲労しか記憶がありませんが。。。281_1 281_2 281_3 281_4

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2009年11月 9日 (月)

北斎漫画 Ⅱ-2

280_5 280_2 280_1 280_4 これから宝永噴火口に向かう。

ここ五合目から六合目まで短調な上り坂を延々と歩く。結構キツい。
眺めが素晴らしいので、何とか励まされるけど。

ここから山頂までは写真の通り近くに見えるんだけど、実際に歩いたら5時間はかかるだろう。

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北斎漫画 Ⅱ

9/24日。

今日は富士山の六合目まで登ります!
278_1 279_1 279_2

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北斎漫画 3

さっそく山中湖畔をぼんとお散歩。
う~ん、良い気候だし、流石に気持ち良いなぁ。276_1 276_2 276_3

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北斎漫画 2

275_1 275_2 275_3 275_4 今回お世話になったのはこのロッヂ。
山中湖まで歩いてすぐだし、なかなか素敵です。
広~い。施設内にはテニスコート2面と、ドッグラン(大型犬用・小型犬用)まで完備。

ペット可ペンションやホテルなんかは結局、動物連れだと他の宿泊客の方に気を遣うから、自分はこのスタイル。

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北斎漫画

9/23日。

今日から3日間、山中湖畔に篭る。いつもは那須だけど、たまには湖畔も良いもんだ。
仕事?・・・そんなもん有給だよ。自分のやるべき事はやったからな!
俺様の場合、仕事など何とでもコントロール出来るが・・・ (・。・)y-゜゜゜ もう必要以上の仕事は追わない。
274_1
自分の目的は達成した。自分にご褒美と、心の洗濯だ。恒例のな!

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2009年9月29日 (火)

宮古から2時間。
盛岡に到達。さ、ここから先の東北道は交通渋滞だろう。

盛岡三大麺、「わんこそば」「盛岡冷麺」「じゃじゃ麺」の中から
“じゃじゃ麺”で腹ごしらえ。

   うまぁ~~~~!!!Dscf2048 Dscf2045

さよなら、宮古。
こんな沢山の元気を有り難う。

俺が愛した、イーハトーヴ。。。

明日から、また闘いだ。

                      完。

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国道106号を戻る。
この区界高原から向うDscf2043 は、南部盛岡。

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イーハトーヴの夏 Ⅶ

■8月15日 ぼんソワ、宮古■

今日は、東京に戻る。・・・あの欲望の街へ。
朝、魚菜市場へ行ってみたら、IBC岩手放送が、生中継をしていた。
・・・誰?このアナウンサーのDscf2042 娘。知らん。

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夜は、オシャレな居酒屋のカウンターに座る。
宮古の地酒、『男山』を頂く。  ・・・男は黙って男山!
Dscf2035
日本中の酒匠から尊敬された南部杜氏の創る酒。
宮古に“男山”
盛岡に“あさ開”    旨い!

宮古の最期の夜を、男山で〆た。

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夏はこれでしょ。「盆踊り」
かき氷やビール、ジュース。勿論、酒の肴も売られてて、賑わってました。
町会長、頑張ったねぇ!

ぼんも踊りました。・・・それがホントの「ぼん踊り」
炭坑節、マイムマイム etc 。。。楽しかった!Dscf2027

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宮古駅前の老舗で寿司を戴く。
この、本当に“新鮮”と言えるDscf2017 ネタの寿司は、何処にも負けない。Dscf2016

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午後。
閉伊川のほとりに遊ぶ。Dscf2004

向うに見えるのは、宮古のランドマーク『ラサの煙突』
地上からの高さは東洋一!煙突だけなら日本第二位。
まさに、宮古のシンボルとなっている。


●データー

宮古のランドマーク。市街の南、小山田(こやまだ)の標高90mの山上にそびえる。煙突の高さ160mで、計250m。実際の高さで日本第2位になる。直径は根本10m、先端5m。1936年(昭和11)休鉱中だったラサ工業の田老鉱山が再開され、宮古工場が1939年(昭和14)6月に操業を開始。煙突の建造は小山田の鹿島建設。1971年(昭和46)に田老鉱山が閉山。1986年(昭和61)煙突を含む銅鉱精錬施設を合同資源産業宮古製錬所に譲渡し、ラサ工業は半導体関係の部品洗浄などに業態を変えた。現在は日本シーアールアイの所有。ラサのサイレンは“ポー”と呼ばれ、午前7時45分・正午・午後4時に鳴った。先端に避雷針があり、純金製だという伝説がある。

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イーハトーヴの夏 Ⅵ

■8月14日 海にドぼん■

ピーカンだ!
さ、今日は泳ぐゾォ~。

幼少から親しんだ「蛸の浜海水浴場」・・・しかも貸切りっ!Dscf1979 Dscf1984 Dscf1994 Dscf1998

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Dscf1975_2 日が暮れた。
吟水砦の窓から眺める夕焼け。

・・・ここは、何もかもが美しい。Dscf1978
そして、何もかもが懐かしい。

夜。
今日は洋風居酒屋のカウンターに座った。
体中に酒が染み入る。

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黒森神社。
吟水砦から3kmの山道を歩く。

黒森神社の解説は、案内板の通り。
「黒森」とは、“九郎の森”が転じたものだと伝えられる。
判官九郎義経は、兄頼朝に追われ、自害したと言われるが
その実、生き延び、3年3ケ月をここに暮らした。Dscf1962 Dscf1966 Dscf1969

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イーハトーヴの夏 Ⅴ

吟水家菩提寺 『曹洞宗宮古山常安禅寺』

これが当家の墓。「今年は来れたよ!」

ここには、壮絶な爆死を遂げた大日本帝国陸軍曹長第一小隊四分隊長だった爺様。
岩手県の教職に、その生涯を捧げた初代吟水ばあちゃん。
そして、俺の妹 富貴子が眠る。Dscf1674 Dscf1935 Dscf1955

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あ~、腹減った。
今日の夕飯はまた、コレ行っとくか。
ま、安いからなぁ。
Dscf1915
     んん!至福。

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この灯台が有名な『喜びも悲しみも幾年月』の舞台となった「とどケ埼灯台」

♪おいら岬の~ 燈台守はぁ~
 妻と二人ぃで~ 沖行く船ぇのぉ~
 無事を祈って~ 灯をともす 灯をと~も~すぅ~

               と、くらぁ。Dscf1866 Dscf1898 Dscf1897

・・・で、おい!
何、そこで死んでんだ?  犬のくせに情けない!

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Dscf1903 で、この場所は・・・。教えられないな!
俺様しか知らない、俺の特別な秘密の場所だからな。197_1

この透明な海の青さ、どんなもんだい。

あまりの気持ち良さに、ぼんと一緒にしばし此処でお昼寝。
・・・他には誰も居ない。時間の止った真っ青な空間。
聞こえてくるのは、波の音とウミネコの唄だけ。

最高だぁ!

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みんなも、ちっぽけな事なんて考えてないで、いっぺん此処に来てみろや!

うりゃぁあああ~~~!!!
地球が丸いべぇー!193_1 194_2

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到着!!!
4kmの山道なんざ、ちょろい。
192_1 192_2
北緯39度32分48秒
東経142度04分16秒。

ここが、本州最東端の地、「とどケ埼」

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こんな山道を、延々と4km歩く。

なに、クマぁ?
クマ公如きに野生児の俺様が負けるわきゃねーだろ。任せろ。

うっしゃ、行くど!191_1 191_3 191_4

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この浜で車を乗り捨てる。・・・ここから先は山道。
ぼん!水を充分に飲んでおけ。此処から先には何も無い!
190_1 190_2

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イーハトーヴの夏 Ⅳ

宮古湾ヨットハーバーにて。

今日は、この湾を一旦上流に向かい、あの向こうに見える月山の更に向こう側、「本州最東端の地」に向かう。189_1

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2009年9月22日 (火)

働いたなぁ・・・。  ふぅ~。
銭湯で汗を流し、今宵のメシは居酒屋 Dscf1831 で。

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さぁて、アギャスさんを見送った午後。
実はこの旅の目的の本題だった「吟水砦のメンテナンス」に入ります。
Dscf1837
2年ぶりに訪れた、別邸吟水砦。
表庭と裏庭は荒れ放題。植えてる木々がジャングル状態ですた。
・・・因みに、水道高熱は止めています。
別邸とは言え、キャンプ状態ですよ。

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Dscf1804 タイヤのパンク修理の時間の合間に、そこから徒歩2分の場所にある「宮古八幡神社」に寄りました。

・・・ここも、判官九郎義経の、“北行伝説”の舞台のひとつなんですよ。
「平泉で自害したのは、実は影武者で、義経は更に北の地へ逃れていた」という伝説です。
恐らくそれが事実でしょう。(自分も色々な史実検分を行った結果の答えですが)

この神社には、義経主従の中で高齢だった配下の従人がこの地に残り、この神社の神官となったという伝説が、今も語り継がれています。

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さて、アギャスさんを駅前までお見送り。

・・・その時! 摩利支天号がパンクすますた! あわわ!!!
見ると、木の小枝がタイヤに突き刺さってるでわないでしか!

。。。多分ですねぇ、アギャスさんには貧Dscf1797 乏神がとりついてるんだと思うんですよ。
アギャスさんと一緒に行動してると、昔からロクな事が無い。
以前、アギャスさんが「車のバッテリー買いに行くからお前の車、出せや!」
・・・そう言われて、ハンドル握って1kmも走った曲がり角を曲がった途端に一斉検問に遭遇しまして、シートベルト未着で捕まったんですよ!

・・・たく!

すぐさま地元のオートバックスで応急処置。

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と、いう事で早速買って来ました。昔からの懐かしい味。
左から、「ごま餅」「くるみ餅」「ひゅうず」

それを、岩手県自慢の地ビール「銀河高原ビール」で、喉に流し込みます。
「うめぇ~~~~~~~~~~~!!!」Dscf1818

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Dscf1777 地元の生菓子です。
・・・えっとですね、まず赤飯ですが、宮古の赤飯は甘いんです。
画像の通り、甘納豆を混ぜて蒸すからです。
甘納豆とゴマ塩の配分が絶妙で、品の良い甘さを引き出します。
自分なんて、幼少からこの味に慣れてるもんで、関東に出て赤飯を食った時・・・。
「なんじゃ!こりゃ~~~~~~~!!!」
関東の赤飯のしょっぱさに、目が点になる程に驚いたもんです。

それから餅。
宮古では、お餅は大凡、ゴマを水飴に溶いた“ごま餅”で戴くか、くるみを水飴に溶いた“くるみ餅”で、食べます。
兎に角、ほのかに甘いんです。

まだまだ宮古ならではの菓子は色々ありますよ。
代表的なのが、“ひゅうず”この辺では昔から子供のオヤツでした。
黒砂糖を液状にして小麦粉の皮で包んだ素朴な味です。

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勿論、野菜も色々あるぜぇ!しかも、今日の採れたてだぃ!
Dscf1773

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「へぃ、お待ちぃ!」どぅでぇ、この新鮮な海の幸の数々!
安いだろ!しかも、とびきりうめぇゾ!

・・・もってけ!泥棒!Dscf1770

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イーハトーヴの夏 Ⅲ

アギャス先輩は本日、東京へ帰ります。
そこでまたリクエストにお答えし、『宮古市魚菜市場』へお連れしました。
吟水砦から徒歩5分。
海の幸、山の幸。ここには、新鮮なあらDscf1787 ゆる食材が用意してあります。

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そして、ジモピーが案内する最高のプライベートビーチ『真崎』
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Dscf1747 こちらは、『鵜の巣断崖』
北山崎に比べ女性的な景観ではありますが、その断崖の迫力には足元すくみます。

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次に向ったのが、日本の観光名所「特AA級」にランキングされた名勝 『北山崎』
これぞ、海のアルプスと呼ばれた絶景。Dscf1744

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龍泉洞からまた更に20km山奥の、ここは日本最大距離を誇る“安家洞”。
横溝正史先生描く、おどろおどろしい小説の、名探偵金田一耕助が活躍した舞台となった洞くつです。Dscf1741

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腹ごしらえした後、日本三大鍾乳洞のひとつ、“龍泉洞”へ向いました。
エメラルドグリーンに輝く神秘の地底湖。その透明度は世界一を誇ります。
Dscf1734

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昼飯。
自分は、美味“浜ラーメン”と“うにイクラ丼”を注文して、う~ん、お腹いっぱい。
この浜ラーメンは、この土地ならではのラーメンです。海の幸と海水の風味を生かした上品な塩味。マジ美味です!
アギャスさんは“浜冷麺”を。Dscf1711

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Dscf1710 ぼんにゃんは国立公園をしばし優雅に泳いで楽しみました。
この海の透明度にもとくとご注目あれ。

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Dscf1686 おっと、勿論ぼんにゃんも一緒です。
心優しい東北の人が、動物を拒絶する事なんてありません。
何も言わず、ニコニコして、こうして普通に乗船OKですよ。

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船内で“ウミネコパン”を買って、腕を差し伸べるとご覧の通り。
ウミネコが差し出したパンを直についばみます。

ここではウミネコも人を怖がりません。
北の大地では、動物は神様のお使いだったから。
古来から、この地に暮らした日本原人「アイヌ」はあらゆる動物とこうして共存して来ました。
此処は、「もののけ姫」の舞台となった蝦夷の里ですからDscf1680

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陸中海岸国立公園「浄土ヶ浜」
吟水砦から3km。

世界中の海を観て来たけど、これほど美しい海を俺は他に知らない。
今日は観光船陸中丸で行くトリップに、アギャス先輩を案内した。Dscf1707

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イーハトーヴの夏 Ⅱ

8月10日 Dscf1678 今日は、三陸の観光名所を巡る。

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実は、会社の先輩であり上司でもある、アギャスさんが163_1
「どうしても、みちのくを一度観たい」と言うので、しょ~がねぇので現地合流したのであった。
車での渋滞を嫌ったアギャスさんは、東北新幹線で盛岡経由で宮古へ。
電車を使えば上野から盛岡まで新幹線で約3時間。更に盛岡から2時間半で本州最東端の地、宮古に着く。

今宵は、地元の料亭でおもてなし。
画像は宮古でその日獲れたホヤ。・・・言っとくけど、関東で出される冷凍モンとは味が格別に異なる!

「うんまぁ~~~~!!!」

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162_1 宮古に到着早々、まずは地元の銭湯で汗を流す。
この、ALWAYSな感触。日本人のDNAが癒される。

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行きは、常磐道から福島で東北道に入る。
盛岡から国道106号を更に東へ。。。本州最東端、宮古市に入る。
夕刻、別邸吟水砦入城。161_1

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前沢のサービスエリアで、昼飯代わりに前沢牛のバーベキューをほおばる。

「うまぁ~!」160_3

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イーハトーヴの夏

■8月9日 ぼんのなつやすみ■

2年ぶりのイーハトーヴを目指して一路北へ。
「夏草や つわものどもが夢のあと」 芭蕉。

みちのくの旅の途中、平泉中尊寺に寄りました。
義経と弁慶の未来への旅がここから始まった様に・・・。159_1

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2009年3月16日 (月)

Silence with Love Ⅲ-2

天気も最高で、満足な旅ですた。2102

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Silence with Love Ⅲ

最終日は、りんどうこファミリー牧場に寄りますた。
2096

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Silence with Love Ⅱ-9

気持ちよく疲れたね!

おやすみなさい。。。うぅぅ・・・ZZZ2090

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Silence with Love Ⅱ-8

風呂上りにこんな景色を目の当たりにするわけだな。

俺が何故こんなところに来るか、ちょっとは分るでしょ?
2086

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Silence with Love Ⅱ-7

天然の温泉の川をせき止めて造っただけの秘湯。
下は川底の砂利のままです。・・・因みに混浴。

ここでワンカップ片手に2時間はくつろいだかな。もう、最高~♪2085

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Silence with Love Ⅱ-6

スキーの後はこれこれ!
温泉だよ。
俺様が那須で一押しの秘湯、大丸温泉。2084

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Silence with Love Ⅱ-5

2083 今回のスキー場は、那須岳のファミリースキー場。初めて来てみた。
この旅の目的がストレス解消だから、近場のスキー場で誤魔化したわけだけど・・・、最悪。
1本だけ動いてるリフトに15分並んで、6秒で滑る降りる。。。そんな感じ?
お子様の多いファミリースキー場だから、リフトはすぐ止まるし。

・・・ま、いっか。。。しょーがねぇ。
そんな感じなんで、15本程滑り降りて終了~~~!!!

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Silence with Love Ⅱ-4

さてこの旅のメインは、実はスキーなんだな!
手にしてるのは愛用のelanのファンスキー。靴は25歳の頃から大事に履いてるSALOMON。

2082

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Silence with Love Ⅱ-3

これもまた定番の「殺生石」
ここには何回来たかな? あ、そうそう。青森は下北半島に恐山てあるでしょ、恐山に比べたら規模は小さいけど、まぁ、こんな感じよ。
・・・そりゃ恐山の方がもっとおどろおどろしいけど。

俺はさ、その恐山の山の中で野宿した事あるんだぜ、へへっ。
血の池地獄のほとりに車を停めて、そこで車中泊。
真っ暗な真夜中2時。木々がザワザワっとさざめいて、月明かりに見えるお地蔵さんの横の風車が“カラカラカラッ”と鳴ってな。

・・・まぁ、そんな中で気持ち良く野宿したけどぉ。
自分は霊魂の存在は否定してないし。・・・要するに自然界の万物の現象全てを受け入れる気構えが有るか無いかのハナシでな。
だから俺様は何も怖いと思わない。 でしょ?

2080

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Silence with Love Ⅱ-2

まずは定番、南ヶ丘牧場。

ピロシキを食いました。
2079
・・・ピロシキ、おいしゅうございました。
牛乳、おいしゅうございました。

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Silence with Love Ⅱ

1/11日、朝食。
2076
昨日は好きなだけビールとワインを呑んで、いつしか寝てしまったらしい。
朝は最高の目覚めだった。

コーヒー、おいしゅうございました。
スープ、おいしゅうございました。

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Silence with Love 2

このペンション、オーナーが元シェフだってんで、たまには食事を自分で用意する事も忘れて、自分は“何もしない”ってのも良いかな?・・・なんてね。

流石は元シェフ。
味にはうるさい濃い口好みの東北人である俺様の舌に、絶妙に応えるパンチの効いたフレンチコースですた。2062

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Silence with Love

1/10日、また那須に来ました。
2059
今回泊まったのは珍しくペンション。
やっぱ、失敗だった。「誰にも俺の時間を束縛されたくは無い!」・・・そんな気持ちとは裏腹に、ペンションてのはさ、メシの時間に束縛されるし、オーナーや宿泊客とコミュニケーション図らにゃならんし、所詮、風来坊の俺様には向いてないんだが。。。突発的に3連休を気ままに過ごしたいと思って藪から棒に宿を決めたので仕方無い。

今回のお供は、ぼんとしゃなと、うりこしゃん、きくちゃん、かっちゃん。

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2009年3月 7日 (土)

初詣 4

ぼんにゃんも神妙に、無病息災をお祈りすますた。
ほら、顔が神妙でしょ。2046

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初詣 3

やはり境内はすごい参拝の人だかりでした。

「帝釈天」っつーから、一瞬拍手を叩きそうになるわけですが、ここは帝釈天題経寺と言って、2045 日蓮宗のお寺さんです。

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初詣 2

葛飾柴又と言えば、帝釈天に決まってるだろ。
2044 ~だがわたくし 生まれも育ちも葛飾柴又 では御座いません!

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初詣

今日はぼんにゃんと一緒に初詣。

去年は戦闘モードを余儀無くされていたので、靖国神社と昭和天皇武蔵野陵(みささぎ)に参拝したんだが。

今年はここ、葛飾柴又。
葛飾柴又まではウチから車で30分。2043

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2009年3月 5日 (木)

雪国 7

体はほかほかして、もうこんな寒さも感じないくらい。
「さて、帰ろうか!」
この愛機なら東京へ、こんな豪雪の雪国から楽勝で日帰りで戻れるんです。
満足な一日ですた!
2038

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雪国 6

湯加減も上々。
何時間でもゆっくりとくつろげる温度。
目の前には川が流れています。2036
秋口はまた紅葉の中、川の流れを楽しめる絶好の温泉です。

この何とも言えない開放感。今日はホント、ストレスがぶっ飛びました。

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雪国 5

2035 この温泉、昔は“秘湯”と言われてたんですが、ここまで有名になるともう、秘湯ぢゃないよな。(悲

今日は外人さんも数人来てたし。会話聞いてたら、ありゃフランス人だったな。
パツキンの可愛い女性が、堂々とスッポンポンで入浴して来たのには鼻血もんでしたが。。。
でも、混浴ってそういうイヤラシさは感じないのが不思議。
・・・だからって、最近は若い女性が恥かしげもなく堂々とオッパイ出して入浴して来んのは、マジ、ヤメて欲しい。
こっちが恥かしくて引いてしまいますがな。目のやり場にも困るし!

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雪国 4

2034 さて、この下が温泉。かなり広いんですよ。
混浴なんですが、若いカップルも結構多い。

・・・「お前、わざとだろ!」
て、くらい混浴を知っててフルチンで堂々と闊歩する露出狂みたいな勘違い野郎も居ますので、混浴素人なる女性はご用心!
はたまた女性の裸体を舐め回す様に視線を配る気色悪い野郎も居るもんで。そんなアホ男の様子を眺めてる方が面白いんだけどさ。
ギャハハ。

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雪国 3

2028 目的地到着!

・・・そう。俺はただ、温泉に入りに来ただけなんだな。
久し振りに来た、宝川温泉。
吟水スーパーモービル摩利支天号なら、ここまでたったの2時間半。

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雪国 2

2026 で、がっつらチェーン巻いて前をトロトロ走行してた車が、やおらスリップしやがって、90度回転してこっちにヘッドライト向けた時にゃ大笑いした。
 ゲラゲラ。 (^〇^)ノ
その横をノーマルタイヤ履いた摩利支天号がスーッと通り過ぎる。
ドライバーの俺様はタバコを片手に鼻歌まじりでなぁ!

道行く途中、何台もの車が公道に車を停めて、チェーン巻きに必死だったなぁ。 (゜.゜)y-゜゜゜
「・・・何してんだよ、邪魔だコラ!」
だいたいな、そんな腕で雪国に乗り込むんぢゃねー!危ねぇーだろが。

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雪国

トンネルをぬけると、そこは雪国だった。

今日はぼんにゃんと雪国を目指した。場所は群馬県水上。
・・・因みに、四駆野郎の端くれの俺様。履いてるタイヤはノーマルだ。2025


こんな豪雪地帯でノーマルタイヤ???と、思うでしょ。
因みに、真冬に郷里の岩手に帰郷する際、過去にチェーンやスノータイヤなど、一度も使用したことが無い。

・・・それは自分の乗る車のテクノロジーを熟知し、あとはテクニックの問題なんだが・・・ (・。・)y-゜゜゜
元々、雪国の人の運転は上手だと思うよ。
タイヤが滑ったらタイミング良く逆ハンを切る。止らない場合は的確なポンピングを駆使する。。。

ひとこと言っておくけど、「自分の運転技術を決して過信しない事!」・・・それが究極のテクニックなんだな。

四駆ってね、元来“道なき道を行く”為に造られた車。
ただ、そのテクノロジーの限界ってもんを知っとかないと・・・そりゃ怖いだろ?
何でもそうだけど、限界を知れば怖いものなんて無い。それにこの俺の愛機“摩利支天Ⅴ世 不知火号”は最強だ!
コイツとなら何処へでも飛んで行ける。

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2009年2月18日 (水)

白い犬とワルツを 18

さて、帰ろうか。
・・・また、いつもの日常に。

結局、逃げる場所なん2000 て、何処にも無いんだからな。

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白い犬とワルツを 17

食堂の外には雪が降っていた。
今期、初めて見る雪だ1999

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白い犬とワルツを 16

14日、朝食。
高原で食べるひとりっきりの朝食というのは、ちょっと淋しいもんだけど。。。
でも、気分は悪くない。1998

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白い犬とワルツを 15

眠った時間は分らない。。。
気がついたら、いつしか寝1997 てしまってたみたいだ。

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白い犬とワルツを 14

たった一泊だけど、とにかく何も考えず、時計も気にせず、しばしゆっくりした時間を気ままに過ごす。1996

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白い犬とワルツを 13

温泉と、若干の好きな肴にビール。
静寂な高原の夜につつまれた部屋で、ペット達と過ごす時間。
これほどの至福は無い1995

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白い犬とワルツを 12

宿泊したコテージの内装。
・・・俺様にはなかなか似1994 合わない、可愛い感じぢゃないすか?

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白い犬とワルツを 11

1993 きたねー足でスンマソン!

パリ旅行の疲れも実は、まだとれていなかった。
時間を気にしない高原の温泉。しかも貸し切り状態。
・・・やっと心から癒された。

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白い犬とワルツを 10

早速、浸る。

あ、そうそう。
風邪は昨日、バファリン飲んで早寝。・・・これに限る。
風邪なんていつも、気合いで一晩で治す。
・・・そして、こんな寒い場所に来れば、体がキーンと癒されて、東北人の自分は、たちまち体調が回復する。
不思議だねぇ。。。
1992

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白い犬とワルツを 9

おっ!温泉発見!1991

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白い犬とワルツを 8

ぼんと日が暮れるまで1990 遊んだ。・・・楽しかった。

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白い犬とワルツを 7

宿泊したコテージ。1989

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白い犬とワルツを 6

急ぐ旅じゃない。
今日はここに泊まる事に1988 した。

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白い犬とワルツを 5

ここは、那須ハイランドパークのすぐ近く。

高原を、ぼんと二人で貸し切りだっ!1987

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白い犬とワルツを 4

ぼんは高原を、楽しそうに思いっきり駆けた。
よし!俺のモヤモヤした気分も、一緒に1986 ぶっ飛ばしてくれ。

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白い犬とワルツを 3

俺も、こんな年齢にもなると色々と、そりゃストレスも溜まる。
考えたくも無い、ひととなりの事とか・・・。

“俺をほっといてくんねーか!いい加減、ひとりにさせてくれ!”
・・・皆さんにもそんな時があるでしょ?1985

めんどくさいよね、世間は。

         ・・・だから、白い犬とワルツを。

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白い犬とワルツを 2

パリ旅行のお小遣い予算は15万円だったんですが、モン・サン・ミッシェルツアー費26,000円以外には、結局51,000円しか使わなかった。
だから、余った予算で留守中、お留守番をしてもらったぼんとしゃなに罪滅ぼしのつもりで13日、今日はここ、那須高原までひとっ飛び。1984

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白い犬とワルツを

12/13日。

神出鬼没に、また那1983 須にやってきました。

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2009年1月25日 (日)

西遊伝 Part5-6

自分用のお土産。

本場のコニャックとカマンベールチーズを持ってきますた。
おやつにマカロンとモン・サン・ミッシェル名物のクッキー。
1950
●豆知識
ワインを造る行程から更にアルコール度数を高めたのがコニャック。
これがイギリスに渡って“ブランデー”と呼ばれたわけですが。

・・・ロシア人が呑んで、酔っ払って踊ったのが「コニャックダンス」
更にニューヨークに渡って、これを呑んで怒ったひとりの刑事。
・・・そう! ニューヨーク怒りの用心棒“刑事コニャック”!!!

日本では、つまみには“コンニャク”が、定番です。


           じゃ、さいなら~!  A bientot !

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西遊伝 Part5-5

新潟の海岸線。

・・・着陸態勢に入る。   もうすぐ会える。
1949

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西遊伝 Part5-4

1945 さいなら、パリ!
今度来る時は世界征服の途中で寄るからなぁ!

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西遊伝 Part5-3

これでやっと、プレの皆さん。ぼん、しゃなに会える!
今、いぐどー!
1944

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西遊伝 Part5-2

さて、空港の免税店で最後のお買い物でもしとこか。

え~と、ナニナニ?
『免税店の *すべての項目 買って 日本に 持っていことができる』

ほぅ。意味は全く分らんが、大した自信だ。1943

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西遊伝 Part5-1

11/29日。シャルル・ド・ゴール空港。
パリ発13:15 エールフランス航空276便。
・・・日本へ。
1942

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西遊伝 Part4-18

ラファイエットグルメメンズ館。
ここのイルミネーションも飽きなかった。

夜の外気はキーンと冷えて、東北人の自分にはとても気持ち良いし。

手を息で温めながら「綺麗ね!」とか言って寄り添う恋人が横に居れば、その場所はとても暖かいだろう。・・なんちゃって。
1941 さて、。。。帰ろ。 明日は日本に帰る。

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西遊伝 Part4-17

さて、ホテルへ戻るか。。。


夜のオペラ・ガルニエ。
どの角度から見上げても飽きない。・・・美しい。1937

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西遊伝 Part4-16

エッフェル塔を遮るものは何1936 も無い。・・・綺麗だ。

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西遊伝 Part4-15

凱旋門から見下ろすシャンゼリゼ通り。1935

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西遊伝 Part4-14

夜の凱旋門に登り、そこからパリを見下ろしてやろうかと思った。
7ユーロ払って凱旋門の屋上に・・・。
登るのは階段で。なかなか息が切れるほどにキツい。1934

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西遊伝 Part4-13

クリスマスの時期、シャンゼリ1933 ゼ通りは煌びやかにライトアップされる。

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西遊伝 Part4-12

パリ市内に戻ると、エッフェル塔のイルミネーションが出迎えてくれた。

これからパリの夜をまた散歩しようと思う。
1932

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西遊伝 Part4-11

さて、そろそろパリに戻る時間だ。
また帰りも4時間コース。パリに着く頃には20:00時だな。

1922

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西遊伝 Part4-10

主要部はゴシック様式だが、内部はさまざまな中世の建築方式が混ざり合って構成されている。教会堂はカロリング期の様式で、身廊はノルマン様式(11~12世紀)、百年戦争後の1421年に破壊されたロマネスク様式の内陣はフランボワイアン・ゴシック様式(15世紀半ば~16世紀初頭)として再建された。これら周囲を13世紀の重層構造の修道院建築と13~15世紀の軍事施設が取り囲んでいる。ゴシック・リヴァイヴァル建築の鐘楼と尖塔は1897年に完成し、その上に奉られた剣と秤を持つ金のミカエル像は彫刻家エマニュエル・フレミエによって製作された。深層部からは、岩山の上に幾層にもわたり建造され続けた建築遺構も残る。1921

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西遊伝 Part4-9

今でも年に数度は、この前の海が満潮と化し、孤島になるらしいですよ。

んー!良いカットだ。
流石は写真家、吟水君。1920

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西遊伝 Part4-8

んん!流石に世界遺産の風格が有1918 る。

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西遊伝 Part4-7

・・・別に美味いランチでもな1917 かったけど、腹ごしらえをして さて、登りますよ~!

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西遊伝 Part4-6

ここの名物は、このオムレツらしいんで頼んでみたけど。
・・・別に美味いもんじゃない。1916

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西遊伝 Part4-5

前に置いてあるお酒は、リンゴ酒。
・・・フランスと言えばワインなんですが、ここまで北に上がると流石にぶどうの栽培には適さず、昔からこの辺では“リンゴ酒”という事になります。
アルコール度数は・・・4度くらいかな?かなり軽いんだけど、醸造方法はワインと殆ど変わりません。1915

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西遊伝 Part4-4

一歩中へ入ると、こんな感じ。みやげ物やとかレストランが立ち並ぶ。
そうだなぁ。。。あ、“江ノ島”の感じを思1912 い描いて頂ければ。・・・あんな感じっス。

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西遊伝 Part4-3

1910 この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民のケルト人が信仰する聖地であった。708年、アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使・ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたが、悪魔の悪戯だと思い信じなかった。再び同じ夢を見たが、また信じなかった。ついに3度目には大天使はしびれを切らし、今度はオベールの額に指を触れて強く命じたところ、オベールは稲妻が脳天を走る夢を見た。翌朝、オベールは自分の頭に手を置くと脳天に穴が開いていることに気づいて愕然とし、ここに至って大天使ミカエルのお告げが本物であると確信してここに礼拝堂を作ったのが始まりである。966年にはノルマンディー公リチャード1世がベネディクト会の修道院を島に建て、これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったものである。中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきた。

百年戦争の期間は島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞の役目をしていた。モン・サン=ミッシェルの入り口には今もイギリス軍が捨てていった大砲とその弾が残っている。

18世紀末のフランス革命時に修道院は廃止され1863年まで国の監獄として使用されたが、1865年に再び修道院として復元され、ミサが行われるようになった。19世紀には陸との間に堤防を造成して鉄道・道路ができ陸続きになり(鉄道は後に廃止)、フランス西部の有数の観光地となっている。

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西遊伝 Part4-2

1908 ノルマンディを抜け、ブルターニュに入るとほら!かすかに見えて来ました。

モン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel)とはフランス西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ小島に築かれた修道院である。カトリックの巡礼地のひとつであり「西洋の驚異」と称され、1979年「モンサンミシェルとその湾」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、1994年10月にはラムサール条約登録地となった。

ノルマンディー地方南部・ブルターニュとの境に近いサン・マロ湾はヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られる。潮の満ち引きの差は15メートル以上ある。このため、湾の南東部に位置する修道院が築かれた岩でできた小島はかつては満ち潮の時には海に浮かび、引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっていた。島の入口には潮の干満時刻を示した表示があり、満潮時には浜に降りないようにと記されている。最も大きい潮が押し寄せるのは満月と新月の28-36時間後といわれており、引き潮により沖合い18kmまで引いた潮が、猛烈な速度で押し寄せる。このためかつては多くの巡礼者が潮に飲まれて命を落としたといい、「モン・サン=ミシェルに行くなら、遺書を置いて行け」という言い伝えがあった。

1877年に対岸との間に地続きの道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようになった。しかし、これによって潮流をせき止めることとなり、100年間で2mもの砂が堆積してしまった。急速な陸地化が島の周囲で進行しており、島の間際まで潮がくることは滅多になくなりつつある。かつての姿を取り戻すべく2009年には地続きの道路が取り壊され、2010年には代替となる新たな橋がかけられることが計画されている。

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西遊伝 Part4-1

1907 27日。
今日は旅のハイライト、『モン・サン・ミッシェル』へ向う。フランスの田舎の風景も観たかった。
オプショナル・ツアーへ26,000円を支払い、一路フランスの最果てまで。
パリからモン・サン・ミッシェルまではおよそ400km。
400kmと言うと、東京から仙台辺りの距離になるかな。
写真の様な風景が、延々4時間以上も続く、それはのどかな風景であった。

ここはノルマンディ地方。
かつてこの地はイギリスの領土であったり、ナチスドイツに占領されたり、昔から戦争の話題に事欠かない。
なんせ、ドーバー海峡なんて泳いで渡れる近さなんだからそれも納得出来る。

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■ノルマンディー上陸作戦■

第二次世界大戦中の1944年6月6日に行われたオーバーロード(大君主)作戦を指す。ナチス・ドイツによって占領された西ヨーロッパへの侵攻作戦。最終的に、300万人近い兵員がドーバー海峡を渡ってフランス・コタンタン半島のノルマンディーに上陸した。史上最大の上陸作戦であり、作戦から60年が過ぎた現在までこれを超える規模の上陸作戦は行われていない。

本作戦は夜間の落下傘部隊の降下から始まり、続いて上陸予定地への空爆と艦砲射撃、早朝からの上陸用舟艇による敵前上陸が行われた。上陸作戦に続くノルマンディー地方の制圧にはドイツ軍の必死の抵抗により二ヶ月以上要した。

ノルマンディー上陸作戦は今日まで第二次世界大戦中の最もよく知られる戦いの一つとして数えられる。「D-DAY」は作戦決行日を表し、現在では作戦開始当日の1944年6月6日を意味する用語として使われる。

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2009年1月17日 (土)

西遊伝 Part3-28

いやぁ~~~~軽く酔っ払っちまったな! 疲れてるからなぁ。
ホテル帰って寝よ!
・・・あ?
「おい、バカ!いくらなんでも凍死しちまうぞ、コラ!」

1904 明日、27日は世界遺産 西洋の驚異「モンサンミッシェルへの旅」

乞うご期待!

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西遊伝 Part3-27

気がつくと、日本風食堂 パリっ子に大人気!
ご覧の有様。

1900 しかし・・・パリジェンヌって、ほんと、可愛いよ。
世界中旅したけど、オーストラリアの娘も可愛かった。
韓国の女性も綺麗。(・・・整形してるからな。)

・・・最悪だったのが、。。。香港。 ありゃひで~わ。

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西遊伝 Part3-26

流石に腹減った~ (@@;

ラーメン喰いてぇな。。。

ってんで飛び込んだラーメン屋。
この頼んだメニュー、ペロリと喰っちまった。1898
「三ツ星レストランなんかより、よほど うめぇ~~~!」

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西遊伝 Part3-25

37)サン・ドニ門


降参!1897
今日はこの辺で勘弁してやらぁ!

これで、パリ市内の名所はほぼ網羅したハズだ。
俺様の脚力にかかっちゃ、パリなんざたった2日で征服よ!
さしものナポレオンも、俺様だけには敵うまい。 ざまぁ!

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西遊伝 Part3-24

36)サン・マルタン門1896

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西遊伝 Part3-23

35)レビュブリック広場

・・・この辺まで来ると、流石に右足の激痛に耐え兼ねた。
左足に重心かけて何とか歩ける状態。
既に10時間、歩きっぱなし。

つーか、すげーだろ?トップセールスマンの黄金の足は。1895

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西遊伝 Part3-22

34)オペラ・バスティーユ1893

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西遊伝 Part3-21

33)サン・ポール・サン・ル1892 イ教会

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西遊伝 Part3-20

32)パリ市庁舎
1891
豪華だねぇ~。
・・・松戸市役所も、こんだけ豪華なら良いんだけど。。。
あ、いや、こんなに豪華な庁舎なら、日本人だったら住民税なんざ払いたくもなくなるか。

あ、でも言っとくけど、フランスの税金は高いよぉ~。
世界を知ると、“日本の市民なんて、まだ甘やかされてんのに好きな事だけは勝手に言うよな”って思うよ。
でも、消費税値上げ反対~!

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西遊伝 Part3-19

パリ市立劇場前。1890

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西遊伝 Part3-18

シテ島からまた、市内中心部へ戻る1889

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西遊伝 Part3-17

31)ソルボンヌ大学1887

「よぉ!青年、そのお辞儀の作法間違ってるぞ!言っとくけど」。

ソルボンヌ大学は、俺でも入学出来たハズ。いや、マジで。
高校卒業程度の証明書があれば、この大学は世界からの入学は拒否しないハズ。(確か)
ま、フランス語が堪能な方なら、どうですか?今からでも。
でも、入るのは簡単でも、出れるかど~かは保証しませんがね。  ギャハハ!

この前を通り掛った時、たばこを一本口に銜えたら、すかさず青年が寄ってきて「たばこ下さい!」だと。
“Oui ! D'accord."・・・そう笑顔で答えながら、すかさず日本語で「ほら、この乞食学生!一本恵んでやるよ!」
・・・例によって、日本語で言っても相手には通じないんだからさ。  プギャ~~~。

そう言えば、市内を歩いてたら2度程、毛唐から英語で道を尋ねられたんだ。ありゃたぶんイギリス人だと思うんだが。
“Sorry I am a traveler" っつーか!この俺がいくら西洋人の如しな気品を兼ね備えてるてるからって、見るからに日本人だろが、タコ!
まぁ、道を尋ねたくなる様な、親しみやすそうな優しいマスクだからなぁ、俺様は。。。しょ~がねぇか。   (^.^)y-゜゜゜

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西遊伝 Part3-16

おわ!ギャァアアア~~~~~~~ああああああああ!!!

なんちゃってー!  (・。・)y-゜゜゜
1883 面白がって写真撮ってたら、たまたま巡回してた警備員に
「フラッシッ焚くんぢゃねー!」って怒られた。

「はぁ? うっせ!このフニャチン野郎!」
・・・ま、日本語で何言っても、どーせ通じないんだから、めたくそ言ってやった。   ギャハハ!

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西遊伝 Part3-15

螺旋階段を延々と降り、死の世界へ。。。地下に降り立ち、こんな薄暗い通路を、延々10分は歩く。
途中からそれは巨大な迷路状態となるんだが・・・。
何でも、地元のバカヤンキーが、夜中に肝試しよろしく侵入して、11年後に白骨化した状態で見つかったんだとか。
1882 怖っ!!!   ・・・つーか、アホか!

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西遊伝 Part3-14

26日、PM

可愛いパリジェンヌが「ここよ!」と指差したのがこれ。“カタコンブ”
え~~~???コレが入り口かよ。
こんなとこに有るんじゃ、そりゃわかんねーよな。看板も出てないんだから。
「メルシー!」そう笑顔でお礼をして、パリジェンヌと別れる。
1878


30)カタコンブ

パリの地下に広がっているカタコンブ(カタコンベ)いわゆる地下墓地には、600万人分もの人骨が眠っており、パリの観光名所のひとつにもなっている(入場料7ユーロ)。

パリのカタコンブの歴史は以外に新しい。今から約200年程前、パリ市街の拡大に伴い人口の増加から不足した墓地の対策が早急に求められていた。
墓場が飽和状態となって、市内にはその辺に放置された腐乱した死体から腐敗臭がたちこめて、それはそれは酷いものだったらしい。
当時の市長の号令で共同墓地から骨を発掘し当時の石切り場に骨を移した事がカタコンブの起源となる。
1786年から1814年までの約100年間に町のさまざまな教会から骨約600万体集められた。
地下道には整然とおびただしい数の骨が積まれている。
心臓の弱い方の見学は進められない。
額に剣による創傷の跡のあるもの、陥没したもの、これも人間?と思えるいびつなものまで。

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2009年1月 1日 (木)

西遊伝 Part3-13

1876 この辺までがAMの行程かな。
さて、次は本日のメイン 「カタコンブ」
・・・地図を見ながら歩いてんだが、カタコンブが見当たらね~。

しかし・・・へへ。俺様のフランス語も、なかなか通じるもんだねぇ。
何せ、ここ2ケ月間で猛勉強したからな!

「Mademoiselle ! あ~、Excuse-moi,o'u est l'肩昆布?」
          ↑
よう!そこのオンナ!カタコンブはどこですか?

って、聞いてんだけどな!
・・・5人程のパリジェンヌに声を掛けたら、優しそうな最後のひとりが、現地まで道案内してくれる事になった。

よっしゃ!パリジェンヌのナンパ成功!
日本男児ウタマロ1号、行って来ます! ・・・しかしながら、この辺で右足の激痛もMAX。マジ痛てぇ

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西遊伝 Part3-12

パリの白バイ隊・・・つーか、白くねーなぁ。
おまけにオフローダーだし。

・・・速いのか?そのバイク。
自慢じゃねーが、日本の白バイ隊の方が、もっと貫禄あるぞ1875 、オイ!

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西遊伝 Part3-11

・・・おい、おめぇ! 俺よりデケェ顔してんぢゃねーよ!

左側に見えるのがパリの超高層ビル モンパルナスタワー。1874

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西遊伝 Part3-10

1873 29)リュクサンブール宮殿

サロモン・ド・ブロス設計のリュクサンブール公爵邸を、イタリアからフランス王室に嫁いできたマリー・ド・メディシス(ルイ13世の母)の居城として改築した。ニコラ・プッサンとフィリップ・ド・シャンパーニュが手掛けた内装は、彼女が幼い頃過ごしたフィレンツェのメディチ家の居城、ピッティ宮殿をモチーフとしている。

マリーがフランス追放された後は、彼女の孫であるモンパンシエ公爵夫人や、プロヴァンス伯爵(後のルイ18世)が居住した。フランス革命末期には権力者たちがここを活躍の場としたほか、その後ナポレオン・ボナパルトが権力を掌握した歴史的な舞台にもなった。

自由の女神像の原型が設置されている。

現在建物は元老院の議事堂として使用され、建物とその周辺は公園になっている。

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西遊伝 Part3-9

1872 28)パンテオン

ここにあの有名な、キューリー夫人が祀られている。

パリの5区、聖ジュヌヴィエーヴの丘に位置し、幅110メートル、奥行き84メートルのギリシア十字の平面に大ドームとコリント式の円柱を持つ新古典主義建築の作品。18世紀後半に、サント=ジュヌヴィエーヴ教会として建設され、後にフランスの偉人たちを祀る霊廟となった。パンテオンはギリシア語で、日本語では万神殿の意味。

パリの守護聖人、聖ジュヌヴィエーヴに献堂するため、1755年に教会堂の建築設計競技が行われた、「パリの国王の建築物の監督官」であったジャック・ジェルメン・スフロに設計を委託された。スフロは、ジャン・ロドルフ・ペロネと共に、ゴシック教会の構造を徹底的に解析し、石材の強度試験を行って、石造構造の軽快さ、洗練性を求めた。ドームの構造はロンドンのセント・ポール大聖堂や、パリの廃兵院を参考にした。

1755年に建設が始まった。1778年、ドームを支える主ピアに亀裂が見つかり、強度不足を指摘されたことから、スフロの死(1780年)の後、外壁に開けられた開口部は塞がれてしまった。1792年竣工。

しかしフランス革命期の国民議会によってフランスの偉人たちを祀る墓所として利用されることが決定された(1791年)。その後、ナポレオン及びナポレオン3世の時代以降、教会堂として使用された期間もあるが、1885年以降、三度偉人の墓所となり現在に至っている。

ギリシャ建築の純粋性を表現した初期新古典主義建築の傑作とされ、特に『建築試論』を著したマルク・アントワーヌ・ロジェは、この建築物を「完全なる建築のモデルでありフランス建築の真の傑作」と賞賛した。

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西遊伝 Part3-8

元、雑誌社のプロカメラマンでもあった吟水君は、流石に良い絵を撮るねぇ。

題名 『セーヌ川を走る船』1870

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西遊伝 Part3-7

1869 27)ノートルダム寺院

ほーら来た!この写真、教科書なんかで一度は見た事あるだろ?

ゴシック建築を代表する建物であり、ローマ・カトリック教会の大聖堂。「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録された。現在もノートルダム大聖堂は、パリ大司教座聖堂として使用されている。ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指す。
ノートルダムの敷地は、ローマ時代にはユピテル神域であったが、ローマ崩壊後、キリスト教徒はこの地にバシリカを建設した。1163年、司教モーリス・ド・シュリーによって、現在にみられる建築物が着工され、1225年に完成した。ファサードを構成する双塔は1250年に至るまで工事が続けられ、ヴォールトを支えるフライング・バットレスは12世紀に現様式に取り替えられた。最終的な竣工は1345年。

ファサードを装飾する彫刻、屋根の塔、その他多くの部分は、19世紀のゴシック・リヴァイヴァル期にウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクによって大幅に改装されたものである。1831年のヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』(「ノートルダムのせむし男」)の舞台になった。

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西遊伝 Part3-6

1867 26)コンシェルジュリー

かつての牢獄。もともとフィリップ4世の宮殿であったが、14世紀後半に牢獄として使われ始める。18世紀のフランス革命の際には、多くの王族、貴族などの旧体制派が収容された。フランス革命時はその牢獄に入るとかならず死刑になるというので「死の牢獄」とよばれた。そのなかの有名な一人が王妃マリー・アントワネットである。彼女がコンコルド広場で処刑される前2か月半ほど過ごした独房も現在、再現されている。

牢獄にしちゃ、美しい建物だわね。
ここに収容された王妃マリー・アントワネットには、贅を尽くした食事が与えられたが、子供と離れ離れにされて監禁され、死を待つだけの彼女は、数ヶ月で白髪となり、そのヤツレ様は、見るも無残だったのだとか。合掌。

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西遊伝 Part3-5

サンジュ橋を渡り、シテ島に入る。1866

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西遊伝 Part3-4

25)サン・ジャック塔1865

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西遊伝 Part3-3

24)ルーブル美術館

言わずと知れたここ。フランスの国立博物館である。

メトロポリタン美術館(アメリカ合衆国ニューヨーク)などと並んで世界最大級の美術館の1つであるとともに、アシュモリアン美術館(1683年)や、ドレスデン美術館(1744年)、バチカン美術館(1784年)と並んで、ヨーロッパで最も古い美術館の1つに数えられる。世界遺産パリのセーヌ河岸に包括登録されている。創立者はナポレオンの外交官であったヴィヴァン・ドゥノン。世界的に有名な絵画・彫刻を多数所蔵している。


ここはゆっくり観たかったんだけどさぁ。。。
無理。この中をじっくり観て歩いたら、たぶんここだけで3日はかかる。
・・・非常に悔やまれるが、断念。外から建物を眺めるだけで我慢する! ま、またいつか来りゃ良いし。

1862 何故これ程に世界中から美術品を集めてこれたのかと言うと、フランスには税金の代りに美術品で代納すればそれでもOK!
と、いう法制度があるかららしいんだな。
んん、なかなか上手い事を思いついたもんだな。

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西遊伝 Part3-2

朝のコンコルド広場。
今日のスタートはここから!1861

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西遊伝 Part3-1

26日、朝ー!
いや、流石にぐっすり寝ちまったな。

・・・旅行中、この時計が非常に重宝した。
この時計は海外旅行用に買っておいたもので、カシオの電波ソーラー。
時計の針は日本時間を示し、デジタル表示部分には世界の都市の現在時刻が表示される。
日本とパリは丁度8時間の差があるんだが、頭では分っていてもこんな寝ぼけた朝には、咄嗟に日本がAMなのかPMなのかわけわかんなくなるんだな。

・・・時計を眺めてると「あぁ、今頃ぼんは散歩してもらってんのかなぁ~?」とか、「プレの皆さんは寒い思いしてないかなぁ~」なんて事が頭を過る。

ベッドから起き上がって 「イテッ!」
あ~~~右足首に激痛が!!!  流石に昨日は歩き過ぎだべ。
しかし、ま。一度決めた事は完遂するのが俺様の信条!
残り半分。今日でパリの街を徒歩で制覇するぞ!1859

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2008年12月31日 (水)

西遊伝 Part2-34

23)ラファイエットグルメメンズ館

よし、今日はこの辺にしとこう!ホテル帰って寝るぞぉ。
明日はまた、パリの残す半分を歩き尽くす!
1857

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西遊伝 Part2-33

頭きたーーーーーーーーーーー!!!
歩いて帰るわい。

22)サント・トリニテ教会1856

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西遊伝 Part2-32

・・・・


       んんん・・・不味い!!!1855


なんじゃ、こりゃぁあああ!!!

どこが三ツ星なのがねんす!
こんなんが三ツ星の味なら、俺がな、岩手県は三陸の10ツ星の店をいくらでも案内してやっぺ!

んんん、ムカツク~~~~!!!

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西遊伝 Part2-31

1854 このパーティの為だけに、わざわざ革靴とジャケットを持って来たんだ。

フランスの三ツ星レストランと言うからにゃ、そりゃ相当期待してましたが・・・。

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西遊伝 Part2-30

ここに、日本中の“Top of Top”と呼ばれる最前線セールスマン精鋭90余名が集った。

   あぁ、俺もなぁ。  (゜.゜)y-゜゜゜
1853

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西遊伝 Part2-29

パリ市内から“ブローニュの森1852 ”を過ぎたところに、この三ツ星レストランは有る。

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西遊伝 Part2-28

21)オルセー美術館

19世紀美術専門の美術館である1850 。印象派の画家の作品が数多く収蔵されていることで有名。
オルセー美術館の建物はもともと1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、オルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテルであった。設計者は、ヴィクトール・ラルー(1850年-1937年)である。もともとオルセー駅はオルレアンやフランス南西部へ向かう長距離列車のターミナルであり、地下に10線以上のホームを備えていた。狭くて不便だったことから、1939年に近距離列車専用駅となり、駅施設を大幅に縮小した。その後、この建物はさまざまな用途に用いられ、一時は取り壊しの話もあったが、1970年代からフランス政府によって保存活用策が検討されはじめ、19世紀美術を展示する美術館として生まれ変わることとなった。こうして1986年、オルセー美術館が開館した。美術館の中央ホールは地下ホームの吹き抜け構造をそのまま活用している。建物内部には鉄道駅であった面影が随所に残る。現在ではパリの観光名所としてすっかり定着した感がある。なお、旧印象派美術館(ジュ・ド・ポーム)の収蔵品はすべてオルセーに引き継がれている。

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西遊伝 Part2-27

20)陸軍士官学校

エッフェル塔の正面にある。1849

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西遊伝 Part2-26

1848 19)エッフェル塔

エッフェル塔の色って、正確に言える方居ます?
なんつーか、緑色がかったこげ茶色なんだけど、この色はエッフェル塔の為に特別に計算され尽くしてつくられた色合いで、何でも「人間が見て一番飽きない色」なんだそーな。
まぁ、そう言えば赤と白の“東京タワー”。。。見慣れたから良いんだけど、赤と白って、考えてみたら???だよね~。

フランス革命100周年を記念して、1889年にパリで行われた第4回万国博覧会のために建造されるべくコンペティションが開かれた。ここで、ギュスターヴ・エッフェルほか2者の案が採用になった。設計者がステファン・ソーヴェストル、モーリス・ケクランとされたり、エッフェルは工事を請け負ったにすぎないとされたりするが、当時ソーヴェストルとケクランは、2者ともエッフェル社の社員で、エッフェルとともにコンペに参加していた。最終的にはエッフェルが著作権者となり、この塔の名前の由来になった。

建設は万博に間に合わせるため、2年2ヶ月という驚異的な速さで行われたが、1人の死者も出さなかった。
建設当時の高さは312.3m(旗部を含む)で、現在は放送用アンテナが設置されたため、324mとなっている。展望台は3つあり、高さは57.6m、115.7m、276.1mである。第2展望台までは階段でも昇ることが可能。水圧エレベーターなど、当時の基本構造は今でも現役で稼動している。鋼製ではなく錬鉄製の塔である。塔の支点の下には水平に保つためのジャッキがある。

あまりに奇抜な外見のため、建設当時は賛否両論に分かれた。反対派の文学者ギ・ド・モーパッサンは、エッフェル塔1階のレストランによく通ったが、その理由として「ここがパリの中で、いまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」と言っている。ここから、「エッフェル塔の嫌いなやつは、エッフェル塔に行け」ということわざも生まれた。

尚、万博後には来訪者も減ったことや、当初の契約から1909年には解体されようとしていたが、のちに軍事用の無線電波をエッフェル塔から送信することになり、そのため国防上重要な建築物ということで、現在に至るまで残っている。

現在ではパリを代表するシンボルとなっている。1991年この塔を含むパリのセーヌ川周辺は世界遺産として登録された。

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西遊伝 Part2-25

18)ルイ・ヴィトン本店
1847
パリ中心部、シャンゼリゼ通りに戻る。
これはご存知、ルイ・ヴィトン本店。・・・まぁ、日本人のお蔭でここまで大きくなれたんだろが!
日本に感謝しろよ、コノ!

因みに。
パリジェンヌって、人とは同じモノを持ちたがらないらしいいから、「ルイ・ヴィトン?別にぃ」て、感じらしいですよ

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西遊伝 Part2-24

これ、パリの街中の要所要所に設置されてる有料トイレ。
お金を入れてボタンを押すとドアが自動で開く。

・・・しかし、気をつけなければならないのは、トイレに入って15分を経過すると、問答無用でドアが勝手に開く!
15分以内に用を足さないと、そりゃもう悲惨な結末に。。。

おまけにその後、トイレ全体が自動洗浄される仕組み。
・・・フランス人て、そんな几帳面だったのかぁ。。。1846

たまにずぶ濡れでトイレから悲鳴をあげながら出てくる人も居るっつーから、ご用心、ご用心。

てか、俺様。
金も払わずにボタン押してみたらたら、勝手にドアが開いたんで、只で用を足して逃げて来たんだけどさ。
  ・・・ギャハハ! (^○^)/

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西遊伝 Part2-23

この階段、どっかで見たこと無い?
良く映画のワンシーンに使われるんだよ、この階段は。
1845

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西遊伝 Part2-22

17)サン・ピエール教会

サクレ・クール寺院のす1844 ぐ横に位置し、パリで最も古い教会のひとつ。

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西遊伝 Part2-21

16)テルトル広場

画家達が集まり観光客の似顔絵(有料)を描いている。和訳すると「画家広場」であり、かつてはピカソやユトリロらもここで絵を描いていたと言われる。
1842

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西遊伝 Part2-20

この丘から後ろを振り返ると、パリの街が一望できま1841 す。

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西遊伝 Part2-19

1840 因みに、この寺院の正面真ん中に飾られているのはイエス・キリスト。
右側に馬に乗った人物は、フランスを救った・・・そう、ジャンヌ・ダルクだ。

フランスがイギリスの攻撃を受け、“もはやこれまで!”陥落寸前まで追い込まれたフランス。・・・その時、枕元に現われた大天使ミカエルの「ジャンヌよ、フランスを救いなさい!」という声を聞き立ち上がったわずか18歳の少女。
彼女に励まされ、彼女が率いたフランスの軍はあっと言う間にイギリス軍を押し戻し、フランスに勝利をもたらす。
・・・その後ジャンヌ・ダルクはイギリス軍に捉えられ、火炙りの刑に短い生涯を閉じる。時にジャンヌ・ダルク19歳。

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西遊伝 Part2-18

1838 15)サクレ・クール寺院

モンマルトルの丘の上に聳え立つ白亜の寺院。
因みにモンマルトルの“モン”とは、フランス語で「高い」という意味が有る。・・・モンブラン、モン・サンミッシェル・・・etc
だがしかし、モンチッチやモンダミンは違うからな!  (・。・)y-゜゜゜言っとくけど。

ロマネスク様式・ビザンティン様式のバジリカ大聖堂。ギベール・パリ大司教が計画を提唱し、アバディが設計を担当した。1889年にいち早く完成していたエッフェル塔と共にパリ市内を見晴らせる観光名所で、両建造物とも19世紀後半に構想された比較的新しいものであるにも関わらず、今やパリになくてはならない存在になっている。

第三共和政の憲法が発布された1875年に、フランスの新しい政体の門出を祝う意味合いを籠めて、政府による直接的な支援を受けて建設がはじまった。当時は普仏戦争とそれに続くパリ・コミューンによって命を失ったフランス市民を讃える公共建造物としても考えられていたが、年月が過ぎるにつれてその位置づけが自ずと変容してしまう。実際に着工したのは1877年で、約4000万フランの費用と40年の歳月をかけ、1914年に完成したものの、礼拝のために開放されたのは第一次世界大戦の終わり、1919年のことであった故に、この寺院は皮肉にも普仏戦争以来のドイツに対する復讐の象徴として多くのフランス人から捉えられた。

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西遊伝 Part2-17

さて引き続き25日、PMコース。
午後はモンマルトルに向う。時間が無いから昼食は抜き!

14)ムーラン・ルージュ
1836
ここが有名なムーラン・ルージュ。世界最古のキャバレー。
1889年に誕生した。フランス語で「赤い風車」という意味で、実際に屋根の上に赤い風車がある。 歌やダンス、フレンチ・カンカン、大道芸を組み合わせたショーで有名。また、画家のロートレックがここに通いつめ、踊り子たちをモデルに数々のポスターを描いたことでも有名である。 ここで活躍した著名な芸能人としてはエルビス・プレスリー、フランク・シナトラなど多数いる。

2001年にはここを舞台にして映画『ムーラン・ルージュ』が製作された。 同じタイトルの映画は1928年より上記を含め計6本作られている。

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2008年12月20日 (土)

西遊伝 Part2-16

1834 13)コンコルド広場

パリの中心部、チュイルリー公園とシャンゼリゼ通りに挟まれて位置する。
因みに、フランスの怪鳥と言われた超音速旅客機コンコルドは、この広場の名前に由来する。

1755年、Ange-Jacques Gabrielによって設計され、当初ルイ15世の騎馬像が設置されていたため「ルイ15世広場」と呼ばれていた。その後、フランス革命の勃発により、騎馬像は取り払われ、名前も「革命広場」に改められた。革命期には、ルイ16世やマリー・アントワネットの処刑が行われた場所でもある。1795年、現在の「コンコルド広場」という名前で呼ばれ始める(公式名になったのは1830年)。

なお、広場の中心部には、エジプトのルクソール神殿から運んできたオベリスクが置かれている。


ここまでの行程、午前中の3時間で制覇。勿論、徒歩で。

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西遊伝 Part2-15

12)アンヴァリッド

アレクサンドル3世橋の向こう側に観えるのはアンヴァリッド。
フランスの英雄といえばナポレオン。そのナポレオンの棺があるアンヴァリッド。アンヴァリッドの黄金のドームの下には、なん1833 と6重もの棺に覆われ、ナポレオンが眠っていると言う。

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西遊伝 Part2-14

11)アレクサンドル3世橋

セーヌ川に架かる橋の中で、もっとも豪華な橋。

この橋はフランス共和国の大統領サディ・カルノ1831 ーとロシア皇帝アレクサンドル3世の間に結ばれた友好の証として、ニコライ2世により1900年のパリ万国博覧会にあわせて建設、パリ市に寄贈された。

橋はアンヴァリッド広場とグラン・パレ、プティ・パレの間を結ぶように建設された。建設はエンジニアのJean Résal、Amédée d'Alby、建築家のCassien-Bernard 、Gaston Cousinに任された。

橋は鋼鉄製、幅40m、長さ107mで3つの関節を持つ単一アーチ橋で、中央に橋脚を建てることなくセーヌ川を一跨ぎしている。両端には石造りのトンネルがある。

アレクサンドル3世橋の礎石は1896年にニコライ2世によって設置され、1900年のパリ万博に際して落成した。橋の右岸、下流側には「1900年4月14日、フランス共和国大統領エミール・ルーベがパリ万博を開会し、アレクサンドル3世橋を除幕した」と記された記念碑がある。

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西遊伝 Part2-13

10)プティ・パレ1830

シャンゼリゼの東端、セーヌ川との間に位置するプティ・パレ美術館。プティ・パレといえば、特別展の会場として有名で、常設展示のコレクションを持つ美術館であることはあまり知られていなかった。それが改装後、いつでも気軽に立ち寄りたくなるような魅力的な美術館に変身を遂げた。
 プティ・パレは、向かいのグラン・パレ(Le Grand Palais)同様、1900年パリ万博の際、美術作品展示会場として建設され、その後1902年にパリ市所蔵の美術品を展示する施設となった。イオニア式列柱に彫刻が施されたファサードには、大きな窓がいくつも並び、(表には見えないものの)鉄を用いて伸び伸びとしたボリューム感が実現されている。
伝統的な建築材である石にガラスと鉄という新しい素材が軽やかさを添え、当時大変な評判をよんだらしい。自然光だけで作品を見せるため、建築家シャルル・ジロー(Charles Girault) は周囲に大きな窓を配し、中庭をつくって内側にも窓を設けることで光あふれる宮殿(パレ)を生み出した。

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西遊伝 Part2-12

9)グラン・パレ
1829_2
1900年の万国博覧会に向け、シャルル・ジロー(Charles Girault)の監督のもと、アンリ・ドゥグラン(Henri Deglane)、アルベール・ルヴェ(Albert Louvet)、アルベール・トマ(Albert Thomas)の3人の建築家により、1897年から1900年にかけて建設されたグラン・パレ。
当時、共和国としてはまだ若かった“フランスが世界に誇れるフランス芸術の栄光に向けたパレスが誕生した”ともいわれました。その建築様式は、荘重で細密な装飾が示すように、19世紀末の特徴的なスタイルを持っています。
またシンボルでもある、高さ43メートルの鉄筋構造の丸屋根はシャンゼリゼ通りからもひときわ際立ち、当時の鉄骨建築の見事さを示す恰好の例となっています。

万博のメイン会場だったグラン・パレでは、万博終了直後から、芸術家団体主催による展覧会(特にフォービスムを生んだ「サロン・ドートンヌ」と「サロン・デ・ザンデパンダン」)が数多く開催。近代芸術の大きな潮流をここから世界に発信してきました。
また、パリ見本市・モーターショー・航空展示会などのフランスにとって大切な産業・科学にまつわる展示会も、パリ万博が遺した、全国の注目を集めるこの建物で行われました。

1世紀を経て近年になっても、グラン・パレが持つ機能の多様性が認められます。1993年11月に修復のため閉鎖されるまで、多くのイベント(書籍展示会・国際現代アート見本市・骨董ビエンナーレ・「シーム」<美術館・展覧会見本市>・「ミュージコラ」<音楽見本市>など)が開催され続けていました。

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西遊伝 Part2-11

8)シャンゼリゼ通り1827

パリ市内北西部の第8区を横切る約3kmの大通りである。マロニエ(マロンの木)の並木道となっていて、東はオベリスクのあるコンコルド広場から、西は凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール広場(旧エトワール広場)まで全長約3km続き、パリの観光スポットとなっている。この通りを延長すると、東のルーブル宮から、ルーブルのピラミッド、カルーゼル凱旋門、テュイルリー庭園、オベリスク、凱旋門、そして西のラ・デファンス地区の「グランダルシュ」へと東西の長い直線を形成している。この直線をパリの歴史軸などと呼ぶ。

シャンゼリゼ通りは東に行くにつれ微妙に下り坂になっており、下って行った先にはマリニー広場の緑地とマリニー劇場、グランパレ、プチパレ等の建物がある。西の方では、両側には有名ブランド店、映画館、キャバレー「リド」、カフェ、レストラン(そのうち最も有名なものは「フーケ (Fouquet's)」)などが立ち並ぶ。

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西遊伝 Part2-10

7)凱旋門1826

パリの象徴的な建造物の一つで、単に凱旋門と言えばこのエトワール凱旋門を指すことも多く、世界有数の観光名所となっている。

この凱旋門を中心に、シャンゼリゼ通りを始め、12本の通りが放射状に延びており、その形が地図上で光り輝く「星=étoile」のように見えるので、この広場は「星の広場(エトワール広場) la place de l'Etoile」と呼ばれていた。そのため、「エトワール広場の凱旋門」の意味の「Arc de triomphe de l'Etoile」との正式名称がある。但し、現在この広場は「シャルル・ド・ゴール広場 la place de Charles de Gaulle」と名称が変更になっている。

なお、「凱旋門 Arc de triomphe (アルク・ド・トリヨーンフ)」の直訳が「戦勝のアーチ」であることでも分かるように、「凱旋門」自体は戦勝記念碑である。そのため、凱旋門はパリだけでもカルーゼル門、サン・ドニ門、サン・マルタン門など多数存在する。

因みに、シャンゼリゼ通りとこのエトワール凱旋門の延長線上のラ・デファンスには「新凱旋門 グランダルシュ」 (la Grande Arche、またはl'Arche de la Défense) があるが、これは戦勝記念碑ではないので、正式名称に "triomphe" が付いていない。すなわち「凱旋門」ではない。しかし、シャンゼリゼ通りの都市軸上にある、カルーゼル凱旋門・エトワール凱旋門に続く第3番目の「門(arc, arche)」であるとの認識があるため、フランスの国の標語である「Liberté, Égalité, Fraternité」(自由、平等、友愛)から、「La Grande Arche de la Fraternité →直訳:友愛の大アーチ」との正式名称を持つ。なお、日本では、「凱旋門」が「エトワール凱旋門」を示す固有名詞と化してしまったため、実際は凱旋門ではないグランダルシュにまで「新凱旋門」と名づけてしまった。なお、北朝鮮の首都平壌にも金日成の帰還を記念して造られた「凱旋門」があるが、これはエトワール凱旋門を意識して造られたといわれ、それより高さが10m高く、世界一とされている。

古代ギリシャ、ローマを模範とするネオクラシシズム(新古典主義)建築の代表作である。

エトワール凱旋門は、1806年、ナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まった。ルイ・フィリップの復古王政時代、1836年に完成した。ナポレオンは凱旋門が完成する前に既に死去しており、彼がこの門をくぐったのは1840年にパリに改葬された時であった。古代ローマの凱旋門に範を取ったもので、新古典主義の代表作の一つ。

エトワール凱旋門の下には、第一次世界大戦で戦死した無名兵士の墓が納められている。

第二次世界大戦ではナチス・ドイツのパリ占領に際してナチス・ドイツ国旗が掲げられ、ヒトラーが戦車で凱旋した。

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西遊伝 Part2-9

6)サンタレクサンドレ・ネウスキー大聖堂1825

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西遊伝 Part2-8

5)モンゾー公園

パリ市内を歩いていると、犬連れの人が多い事に気がつく1823
犬が好きな人が多いんだろーな。
観察していると、飼い主のマナーはとても良い!この辺は日本人並だろう。

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西遊伝 Part2-7

4)内務省1822

フランス国家の総合的な国内治安、犯罪対策、大規模自然災害に対する政策を担当する。内務大臣はフランスにおける内閣の重要ポストのひとつである。
フランス内務省には、法秩序維持のためにフランス国家警察、フランス国家憲兵隊(平時は、機動憲兵隊を内相が)をそれぞれ管轄下に置く
そのほか、内務省の管轄事項としては、民間防衛と安全保障の管理(消防はこの隷下にある)、旅券、身分証明書などの各種証明書発行、ネットワーク管理、中央および地方政府の関係に関すること、全国ならびに地方レベルにおける物流および選挙管理(ただし選挙結果に関しては、憲法評議会および行政裁判所がこれを管轄下に置く)など広範囲に渡っている。
地方圏およびその下位にある地方自治体は内相の監督下にある。

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西遊伝 Part2-6

1821 3)エリゼ宮

フランス大統領官邸であり、国賓等を迎えて美食の国の饗宴が催されることも多いエリゼ宮。
シラク元大統領は、1873年より官邸として使用されているこの建物で執務を執る大統領としては20代目に当たる。
建物としては、もともとは18世紀前半に建てられたエヴェール伯爵の宮殿だったのを、その後、 ルイ15世の愛妾として知られるポンパドゥール夫人や、ナポレオンの皇后ジョゼフィーヌが住まいにしていたこともある。
普段はものものしい警備に守られて、宮殿内部を見ることは出来ないエリゼ宮だが、「国家遺産の日」として年に2日だけ一般に公開されている。

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西遊伝 Part2-5

内部に入ると右側にプラディエ(w:James_Pradier)作の『聖母マリアの婚礼』像が、左側にはリュード(w:François Rude)作の『キリストの洗礼』」像が安置され、主祭壇はマロチェッティ(w:Carlo Marochetti)らによる『聖マグダラのマリアの歓1820 喜』像で飾られている。

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西遊伝 Part2-4

1817 2)マドレーヌ寺院

聖女マグダラのマリアを祭るカトリック教会。
ブルボン王朝末期に建設が開始され、フランス革命により中断。後に建設が再開されるとナポレオン1世の命令でフランス軍戦没将兵顕彰に造営目的が変更され、1842年に完成。このときにはナポレオンが失脚したあとなので、ルイ18世によってカトリック教会に用途が変更された。このためその外観は、キリスト教の教会としてはかなり異例であるといえる。

外観はコリント式の高さ30mの柱が52本並べるなど古代ギリシア・古代ローマの神殿を模したネオ・クラシック様式である。 正面はルメール(Henri Lemaire)作の「最後の審判」の彫刻に飾られ、銅の扉にはトリケッティ(Henri de Triqueti)による「十戒」をテーマにしたレリーフが施されている。

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西遊伝 Part2-3

1816 1)オペラ・ガルニエ

オペラ大通りの先に堂々と構えるオペラ座は、1669年、ルイ14世時代にナポレオン3世の命によって建設が始められ、長い年月を経て、1875年1月15日に落成を迎えました。建築デザインはコンクール形式で行われ、当時無名だった35歳の若き建築家、シャルル・ガルニエが見事栄冠を手にし、オペラ・ガルニエと名づけられました。2000年には、ファサードの修復作業が行われ、当時の華やかな金色が蘇りました。

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西遊伝 Part2-2

9:00時。
まずは宿泊先のホテル1815 、アンバサドール・コンコルドをスタート!

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西遊伝 Part2-1

11/25日。
まずは朝食。ここはホテルのレストラン。

朝からガッツラ喰う!

今回の旅の目標とする醍醐味は・・・。
『パリ市内の名所の全てを全行程